織田信長の天下取りの始まり「桶狭間の戦い」

天下の先駆者「織田信長」

信長がいなかったらどんな日本になって

いたのだろう。


信長が居なかったら豊臣秀吉も徳川家康の名も

聞かなかったと思います。


他に武田信玄、今川義元はどうであったか?

一番近いのは武田信玄が最有力ではないかと

思います。

今回は織田信長の天下取りの出発点である

「桶狭間の合戦」について書いてみました。

Contents

スポンサードリンク

織田信長誕生


1534年(天文3年)5月、尾張国の

戦国大名・織田信秀の嫡男として生まれた。

生まれた場所については3説あるが

勝幡城が有力である。

幼名は吉法師。


信長は信秀から那古野城を早くから譲られ、

城主となっている。


その城主たる信長は10代後半に、変わった

服装で城下を歩いていた。

着物は片袖を脱ぎ、丈の短い袴をはき、

腰にはひょうたんや火打石を入れた袋を

下げた服装だった。


また身分にこだわらず、町の若者と遊んでいた。

また人質になっていた松平竹千代(後の徳川家康)

の幼少期に知り合ったとも言われるが、可能性が

無いわけでもない。


こんな事で信長は「尾張の大うつけ」と

呼ばれていた。


1546年(天文15年)、元服して三郎信長

と改名し、翌年には今川方の小競り合いに参戦し、

初陣を飾った。


1549年(天文18年)父信秀と敵対関係に

あった美濃国・斉藤道三と和睦をはかり、

その証として道三の娘・濃姫と信長の間で

政略結婚が交わされた。

スポンサードリンク

信長の家督相続

1522年(天文21年)父・信秀が病死すると

葬式に現れた信長は、抹香を仏壇に投げつけた

という。

また「やはり大うつけ」が広がった。


そんな中、家督を継承したが、困難に直面する。


各武将が信長派と弟・信勝派に別れてきた。


1556年(弘治2年)義父・道三が、家督を

譲った息子である斉藤義龍に敗れ、信長も

道三救援のため出陣したが間に合わず退却した。


最大の味方を失った信長に対し、弟・信勝派は

挙兵したが、結果信長が勝利をした。


この時、生母・土田御前の仲介で信勝と勝家は

許された。

柴田勝家は信勝がまた謀反を企てていた事を知り、

信長に密告した。


信長は仮病をして信勝を清須城に誘い出し殺害した。

スポンサードリンク

桶狭間の戦い

東側のほうでは武田信玄、北条氏康との和睦が

成立した今川義元は領地拡大のため動いた。


1560年(永禄3年)5月12日、今川義元は

大軍を率いて駿府を後に東海道を西進した。


このことは織田軍にも入り、清須城に篭城するか

出撃するかで軍議が行われていた。


しかし信長はあまり気が乗っていなかった。

一大事なのに、勝算はあったのか?


信長は今まで「うつけ」の顔をして領内を動き回り

領内のことはすべて頭に入っていた。


義元は5月17日には沓掛城に入った。

翌5月18日には松平元康が率いる

三河勢を使い大高城に兵糧を届けさせた。


翌5月19日3時頃、松平元康と朝比奈康朝は

織田軍の丸根砦、鷲津砦に攻撃を開始した。


この知らせを受けた信長は待っていたかのように

飛び起き、「敦盛」を舞い、4時頃少数で

清州城を出た。


8時頃熱田神宮に着き、軍勢を終結させ、必勝祈願

をした。


信長の作戦はここにあったのかと思われる。


少しでも時間を稼ぎ、信長本体の動きを今川方

悟られないように、囮部隊を鳴海城に向けたりして

攪乱作戦にも出ていた。


また戦場があった場所は窪地が多く、織田軍の

位置が分かりにくい地形でもあった。


織田軍が桶狭間に到着したころ、天候が悪く

13時頃は視界も悪くなるほどの大雨でした。


義元本隊は、この桶狭間で休息をしていた。


織田軍はこの大雨に乗じて兵を進め、義元本体に

奇襲をかけた。


これには今川軍もびっくり、勢いずいた織田勢は

義元の首一つに狙いをかけ、追撃した。


義元は300騎の味方の守られ敗走したが、

追いつかれ味方の兵も少なくなり、とうとう

討ち取られた。


今川方も義元が討たれたことうを知り、

ちりじりになって逃げかえった。


この時の死者数は今川方2753人、織田方は

990人であった。

天下取りの始まり

この後も信長は今川方に落とされた城を

すべて奪還した。

この戦いで「織田信長」という名前が

全国に広まった。


義元の先陣を勤めていた松平元康は岡崎城に入り

三河を平定し、1563年(永禄6年)、織田信長と

松平元康は同盟を結んだ。(清州同盟)


1565年(永禄8年)、信長は最後の敵であった

犬山城の織田信清を下し、尾張統一を達成した。


そして織田信長は元康が東を抑えてくれるから、

美濃攻めに集中できた。

ここから天下取りが始まった。

スポンサードリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする