日本の城の構造と移り変わり

日本の城について話します。

長い歴史になかでお城も様変わりしてきました。

城の構造といろいろな名称です。

Contents

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縄張り

日本の城でよく耳にすることは縄張りという言葉です。

縄張りとはテリトリーともいう。

動物が臭い付けをして自分のテリトリーを巡回したり、

魚でも自分の縄張りによその魚が入ってくると、追い出しに

かかります。

お城でも縄張りという言葉があります。

始めはよく解らなかったがだんだん解ってきた。

城の配置を決めるのに縄を張って位置を決めていた。

このことから「縄張」という言葉ができてきた。

そして堀を掘って、その掘った土で土塁を作る。

この方法は山城から始まり、堀に水はなく空堀でした。

縄張を作るにあたって城の強固、周囲の強固

そして、国の中心ということを考えて作っていた。

城の当初は山城が多く、山の要塞であった。

しかし、戦の時だけ城内に入り、通常の業務は山を降りて

平地で行うシステムになっていた。

戦国時代になると山城から平山城に代わってきた。

そして堀に水を入れ水堀が主流になってきた。

織田信長の城の安土城と犬山城・姫路城・彦根城・

松山城・高知城・熊本城は平山城です。

戦国時代になると山城から平山城そして平城に変わってきた。

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曲輪の配置

駿府城、山形城、二条城等の城は本丸を中心に置き、

その周りに二の丸を置き、その外側に三の丸を置く、

輪郭式という形式。

水戸城、盛岡城、島原城などは本丸と二の丸と三の丸が

直列したのは連郭式という形式

弘前城、岡山城、大分府内城などは本丸を囲むように

二の丸を配し、その二の丸を囲むように三の丸を置くように

配置したのが梯郭式という形式。

姫路城、丸亀城などはそれを渦巻状にしたのが渦郭式という

形式である。

大まかに分類するとこの4種に当てはまり、かわ・海・湖などの

立地条件などによってこの4パターンを巧みに組み合わせて

より堅固な城を築き上げている。

また縄張によって決められた曲輪があり、その曲輪の周囲に

堀を掘り、掘った残土で土塁や石垣を作った。

掘りには水堀と空堀があり、箱堀、薬研堀、毛抜掘、

障子堀などがある。

石垣は江戸時代に多く用いられ、戦国時代は土塁が多かった。

積み方もいろいろあって、野面積は自然の石を加工せずに

そのまま積み上げていった。

打込接は石の丸みを削って接合面を平らにし組み合わせた方法。

切込接は石を長方形に加工して隙間がない積み方。

算木積は石垣の角部に置いて長方形の石が交互に積み上げて

いく方法。

石垣の利点は塁線いっぱいまで建物を建てることができる

利点がある。

櫓・門・橋

城には天守・二の丸・三の丸があり、それらを守るために櫓・門・橋が

あり、外部からの侵入を防いでいる。

櫓に種類には二重櫓・渡櫓・三重櫓・重箱櫓・多門櫓・平櫓などがある。

櫓は食料の備蓄やら、武器の倉庫、寝泊りもできるようになっている。

門には櫓門・高麗門があり、ほとんどが櫓門で門の上の櫓から攻撃をする。

橋は桔橋・引橋といういざと言う時に橋を引き上げたり、引き込んだりして

敵の侵入を防いだ。

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天守閣

天守は城の象徴である。

天守の構成には独立式・複合式・連結式・連立式の4種があり、

天守の構造として望楼型と層塔型の2種類に分けられる。

望楼方は入母屋造の上に望楼を載せた初期の天守で繋ぎ目には

破風が生じて、破風によって飾られている。

層塔型は江戸時代初期に考えられた構造で、下層から同じ

逓減率で積み上げていく方法。

破風にもいろいろある。

切妻破風・千鳥破風・唐破風・入母屋破風などがあり、

風の防止のために取り付けられ、構造として必要なものと、

飾りを主にした破風がある。

各城で建築した武将の力によってもいろいろな破風がある。

そんな天守であるが、いったん戦になると本来の目的通り、

戦で籠城する時に必要な井戸、台所、また厠もある所がある。

戦になり城を攻められた時、天守に籠って戦える備えがあった。

そして持久戦になっても天守が落ちなければ落城することはない。

援軍が来るまでの間は必死で城を守った。

泰平の世になると、天守は戦闘のためでなく、権威の象徴として

役割を果たしてきた。

幕末には70城くらいの城があったが明治時代に解体され、20城

くらいになった。

また戦争や火災等で焼失したため、現在では国宝に指定されている

犬山城・彦根城・姫路城・松本城・松江城の5城で、国の重要文化財

に指定されている丸岡城・丸亀城・宇和島城・備中松山城・高知城・

弘前城・伊予松山城、の12城です。

まとめ

縄張から始まって戦の時の配置を考え、いかに敵を倒すかを

目的にした城は巨大な要塞であった。

しかし戦術も変わり、弓矢より鉄砲が主流になってきて、

鉄砲に対してそれなりの工夫がいるようになった。

平山城から平城に移っていき縄張も大きくなり、水堀が二重、三重

になり、近くに敵よ寄せ付けないような工夫が多く出てきた。

江戸時代になると戦はほとんどなくなり、戦としての城は

無くなり、地域の象徴としての城に生まれ変わった。

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