漆黒の要塞 松江城

松江城の前身は鎌倉時代から室町時代後期かけて国人

であった末次氏が築いた城である。

応仁の乱で山名氏に着き戦ったが、尼子経久が

出雲守護代になり、この頃末次城は尼子氏に渡った。

その後毛利氏との死闘の末、末次城は毛利氏に渡った。

 

 

Contents

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松江城の誕生


1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで堀尾吉晴の

次男・堀尾忠氏が戦功を認められ、月山富田城へ入城。

月山富田城は中世山城であったため、近世城下町形成

するのには無理があり、末次城跡地の亀田山に築城予定。

しかし1604年(慶長9年)、2代忠氏急逝により

3代忠晴の後見となった父・吉晴が築城を開始した。

4カ年の歳月をかけて、1611年(慶長16年)

強固な防備の城が完成した。


関ヶ原の戦いから大阪の陣前の時期は全国的に

大乱がいつ起こってもおかしくない緊張状態が続いていた。

どの大名も居城が大軍に攻められることも想定され、

「慶長の築城ラッシュ」が始まった。

そんな中、松江城も川を利用した堅固な守りで、天守

だけでも籠城できる備えをした。

「戦う城」のイメージが強く、機能面でも優れていた。


しかし1633年(寛永10年)忠晴が無くなり、

跡取りが無く堀尾氏は三代で改易となり、若狭国より

京極忠高が入城、三の丸を造営し、松江城の全容が

完成した。

また忠高も跡取りなく没し、京極家は断絶。

1638年(寛永15年)信濃国より徳川家康の孫・

松平直政が城主になり10代続いて維新を迎えた。

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松江城の内部の仕掛け


天守は四重五階で穴蔵がある。

二重櫓の上に三重櫓を載せた望楼式天守で、三重目

の平側に入母屋造りの張り出しがある。

外観は入母屋までが全面板張りで、黒く塗られている。

そのため狭間が94箇所あるが蓋つきで黒く塗られた

板張りなので外からは分かりずらい。


天守に入るのは附櫓から入るが、格子窓や狭間を設け、

本丸まで攻め込んだ敵を迎撃する役目を持っている。

附櫓に敵が侵入してきたら附櫓二階の床板を外し、

侵入した敵を攻撃できる。

またL字スペースから階段を上ってる敵の背後から

攻められる。

そして天守入り口の壁は狭間が設けられ、徹底抗戦の

構えが見てとれる。

また地階内部には籠城戦に備えて井戸やトイレも設置。

三階にもトイレは設置してある。


附櫓入り口鉄扉

附櫓の入り口は総鉄板貼りの頑丈な造りで中央に小窓が

あり上下に開閉する特殊な構造である。

入り口を入ると右に階段がありそれを上ると、左上がりの

階段があり、それを上ると附櫓に着く。

附櫓の床は外せる床面になており、侵入者に対し

頭上から攻撃できる。

先ほどの上り階段の背後にもスペースがあり、

そこからも侵入者を狙える。

そして運よく上がれても天守入り口の狭間から攻撃

される。

このように附櫓では関門がいくつもそろっている。

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戦闘特化型の天守

天守一階

兜や鎧の展示があり戦国時代の雰囲気が出ている。

また柱ですが、帯鉄・包板と言われる補強をしています。

当時は築城ラッシュで木材が少なく、材料集めが大変でした。

月山富田城の材料も使い、何とか建てた城です。

月日が経つにつれ柱にひび割れが入ったら補強のため

帯鉄や包板で補強をしてきた。

この方法は享保四年が最初で、それから柱の傷み具合

を見て補強されてきた。

松江城だけで見られる独特の補強手段です。

また通し柱の構造も見事です。

松江城天守の構造は、とても独創的で、地階と1階、

1階と2階、2階と3階、3階と4階、というように、

2階ごとに「通し柱」で貫いて天守を一体化しています。


白鷺城で有名な姫路城天守は地階から6階の床までを

2本の通し柱が貫通して支えていますが、松江城天守は

2階ずつを通し柱で支え、均一に荷重をかけているのです。

姫路城の通し柱ほどの大木が調達できなかったからと

考えられますが、なんとも見事な対応策です。


二階

二階には隠し石落しが二階床面四隅と東、西、北側外壁

中央部の7箇所設置してある。

これは敵が石垣を乗ってきたら石を落として攻撃する。


天守や橋の模型とか現在の松江市内のジオラマが昭和時代

江戸時代の年代別に設置してある。

その時代時代の変遷がよくわかる。


三階

堀尾氏の築城想像図とか松本城本丸の模型が飾られています。


四階

四階に上がると、望楼型なので下層部2階の屋根を

ぶち抜いて望楼がある屋根裏部屋です。

 


五階

最上の五階。望楼から全方位が眺望できる。


江戸期に改修を重ね受け継がれた工夫を凝らした

松江城は今も光り輝いています。

 

名称 松江城

住所 松江市殿町1-5

お問い合わせ電話番号 0852-21-4030

本丸開門時間 4月~9月 7:00~19:30、10月~3月 8:30~17:00

登閣時間

4月~9月 8:30~18:30(登閣受付は18:00まで)

10月~3月 8:30~17:00(登閣受付は16:30まで)

料金

大人670円(530円)、小人(小中)280円(220円) 

          ※( )は30名以上の団体料金

定休日 無休

交通アクセス JR松江駅からバス15分 車:大手前駐車場からすぐ 

        バス:大手前下車/徒歩2分
その他

共通入場券

〇2施設共通券(松江城・松江歴史館)

・大人930円 小人(小中学生)420円

※松江歴史館は基本展示のみ。松江ホーランエンヤ伝承館も鑑賞可能。


〇3館共通券 (松江城・小泉八雲記念館・武家屋敷)

・大人1,090円 小人(小中学生)500円

※本券提示により小泉八雲旧居、松江歴史館等の割引が受けられます。

※ご購入日から3日間有効です

〇3館共通券 (松江城・小泉八雲記念館・小泉八雲旧居)

・大人1,090円 小人(小中学生)500円

※本券提示により武家屋敷、松江歴史館等の割引が受けられます。

※ご購入日から3日間有効です

まとめ

築城の立役者の堀尾吉晴は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と

天下の名将の下で活躍した武将で、城の本質を分かった人です。

その人が作った松江城はとても素晴らしい。

必見の価値あり。

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